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2006年4月29日 (土)

生きてるって

会社の同期で同い年、しかも仲良しで、旅行もよく一緒に行った子の訃報が入ったのは、29日の午後2時過ぎだった。

PTAの広報委員会が終わり、帰宅する寸前だった。

理由は、まだわからない。

昨年の鈴鹿の日本GPで、キャンプ場に戻ってから私のお星様である佐藤琢磨選手が失格の裁定が下ったと知った瞬間から、記憶が途絶えたのと、同じことが今日起こった。そう、また記憶のない時間が発生したのだ。

身近な人が亡くなったのは、初めてのことではない。小5の時はクラスメートが闘病の末に亡くなった。実父もそうだ。私にとって神様であり、この世のすべてであったフレディ・マーキュリーが亡くなった時もそうだが、20代半ばまではショックを受けてもまだ理性が残っていた。

最近、ショックが大きいと、それ以後の一定時間の記憶がなくなることがあるらしいことが判ってきた。年をとったのであろうか。今日も、友人の死を知り、息子に帰宅するなり「母さん、同い年の仲良しのお友達が死んじゃったよ・・・」と玄関先で告げてから、夜の7時までの記憶が一切ない。泣いたのか泣いてないのかも分からない。

お酒はもちろん飲んでいない。食卓の惨状から、自分が遅い昼食を食べ散らかして、そのまま気を失うように布団まで這いずって、寝てしまったことが推測できるだけだ。

人は、余りにも辛いことがあると記憶を消すという。現実に対応できるだけの精神力がなくなってしまった私への、神様の哀れみなのだろうか。

夫に起こされて気がついた私が思ったのは、友人でさえ失ったらこんなに辛い。私はどんなことがあっても家族のために生きていかなくては、と改めて思ったということだ。健康にも事故にも気をつけなくては、と改めて思った。

追記

私は、小さい頃から死が怖くなかった。たまたま小さい頃から人の死を身近に感じていたからかもしれない。生あるものはいずれ死ぬのだから、恐れることは愚かだと思っていた。どういうタイミングでそれがやってきても、今度は自分の番なのだ、と思うだけだと思ってきた。でも、今日初めて「死」というものが周りに与える影響というものを考えた。私自身は、いつも人生、今この瞬間に死んでも悔いのないよう精一杯生きてきた。だから自分の死は全然怖くない。でも、残された者の事を考えたら、やはり持てる命は燃え尽きる日が来るまで大切にしないといけないのだと改めて考えさせられた。

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コメント

同い年の親しかったお友達というだけで私も身につまされます。事故だったのでしょうか、ご病気だったのでしょうか。

生きてるだけでめっけもの、と(ちゃかすつもりではないですが)つくづく思います。人生、大切に生きましょうね、お互い。

投稿: akberlin | 2006年4月29日 (土) 05:47

akberlinさん
過労による急死だったらしく、車の中でこと切れていてたのを後続の運転手が発見して見つかったそうです。

私も、夜1時に寝て、朝は5時に起きてという暮らしをしていると、時々寝不足の余り、食事をしながら眠ってしまい、持っている茶碗を床に落とす、ということがありました。居眠り運転による事故も二週続けて起こしたこともあるし、今回、自重しないといけないと反省しました。

投稿: はるみ | 2006年4月30日 (日) 21:49

今年放映中の大河ドラマ「功名が辻」の中で、夫の一豊が戦場から戻ってきて「千代、命拾うたぞ!」というと、主人公の千代が「長生きこそ功名の種でございます」と応じるシーンが何度か出てきます。
改めて生きるということの意味を考えさせられます。

投稿: かず | 2006年5月 2日 (火) 13:48

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